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PostHeaderIcon 相談員コラム…老後は都会で①


 地方の人口減、東京への一極集中が問題化する中、とても言いにくいのだが、老後は都会に住むのがイイと私は思う。別に東京や大阪などの大都会でなくても、政令指定都市、もしくは県庁所在地のような都市でもいい。大都会の高齢者というと、テレビで取り上げるのは団地やアパートでの孤独死や超高級有料老人ホームでの優雅な老後生活などの極端な例ばかりであるが、当たり前だが都会にだって普通の年金暮らしの高齢者は大勢いる。そんな高齢者の老後の暮らしぶりを見ると、高齢になればなるほど実にうまく「都会の便利さ」を享受しているように思う。みんな大きな声では言わないけど、そんな「老後を都会で暮らす良さ」を一度ゆっくり考えてみたい。

 まず、都会がイイというより、田舎の生活が無理だと私が思う一番の理由から。それは「自動車」だ(ちなみに私はペーパードライバー)。今や多くの場合、田舎ではスーパーや病院が徒歩圏内にはまずない。そもそも自家用車やバス路線がなければ生活が成り立たない。もし、車を持っていて自分で運転できても、高齢になればいつか限界が来る。持ち家があっても、環境が良くても、健康でも、運転ができなくなれば高齢者だけでは暮らせない。それが田舎だ。

 私の実家も田舎ではあるが商店街の一角で、お店、役所、学校、銀行、病院などが直径500m圏内にあり何でも事足りる実に便利なところだった。それがである。郊外に大型スーパーができると、商店街のスーパーは廃業に追い込まれ、資金力のあるお店や病院、銀行は広い駐車場を求めこぞって郊外に移転した。残ったのは昔ながらの商店、それもうちと同様に子供たちが後をつがないので、つぎつぎ廃業し、今残っているのは八百屋さんと魚屋さん、お豆腐屋さんぐらいだ。実家もいつの間にか郊外のスーパーや病院、金融機関に車で行く生活になっていた。

 遠距離介護を始めた頃は、父はスーパーやコンビニ、病院や銀行に行くのに車を運転していた。しかし、あまりに高齢(当時87歳)のため人身事故を心配し、兄と一緒に運転を止めるよう言うと「生活ができなくなる!」と激高し大げんかになった。数年のバトルの末、90歳でやっと運転を止めたのだが、明らかに生活のクオリティは低下した。かかりつけの病院にはいやいやタクシーを使い、買い物は月に数回帰る兄や私たちがやったが、毎日のように夫婦二人でスーパーに行き、好きなお総菜を選んでいた頃とは大違い。カートにつかまれば歩いていた母もすっかり外出がへり、だんだん歩けなくなっていった。

 運転できるうちは田舎もいいが、運転できなくなるととたんに不便になり、老後生活が暗転する。これが老後に都会を勧める一番の理由だ。

以下、老後に都会に住む良いところは

●徒歩圏で生活ができる。(スーパー、コンビニ、かかりつけの病院など)

●基本的生活=交通、食、住、ケア(医療、介護)のインフラが整備され、選択肢がすごく多い。

●老後の膨大な時間を楽しく過ごせる刺激に満ちあふれている。(美術館、図書館、公民館、スポーツ施設、映画館、お芝居、コンサート、ライブ、神社仏閣、百貨店、公園、市民農園、外食のお店、町歩き、カルチャーセンター、大学の公開セミナーなど)

●高齢者でも働く場所や活躍する場所が結構ある。

●老後の決め手は公助、共助、自助というが、それを支える人(人手)が圧倒的に多い。

 次回は都会に住むための一番のネック「物価の高さ」について住居をメインに取り上げる。
この連載はちょっと長くなりそうなので、お付き合いよろしくお願いします。

※前の記事は左の「相談員のコラム」で読めます。